
新年、あけましておめでとうございます。 コトコです。
お正月、皆さんはゆっくりご自身の心と向き合う時間はありましたか?コトコはふと、「信頼」という言葉について考えていました。
実はね、正直に告白してしまうと。 コトコは自分以外のことを、基本的には「信頼」していないんだな、と気づいてしまったのよ。いや、結構前から知ってたかも知れないが・・・・
例えば、相方のこと。 もう25年も一緒にいるけど、彼のことはほぼほぼ信頼していません(笑)。
だって、出会った頃は嘘まみれだったから。 今でもきっと、小さな嘘をついているんじゃないかなぁと思っているよ。
「えっ、それってパートナーとしてどうなの?」って思われるかも知れないが。 でも不思議なことに、信頼はしていないけれど、絶対的な「安心感」はある。 彼がコトコの敵になることはない、味方でいてくれる、という感覚。
信頼していないからこそ、「こうしてほしい」「こうあるべき」という「期待」がない。 だから、事実がどうであれ、目の前で楽しそうに話している彼が元気なら、まあそれでいいか。と思える。 これって、ある意味すごく楽ちんな関係なのよ。
私たちはよく、「信頼」という言葉のラッピングをして、相手に重たい「期待」をプレゼントしてしまいがち。 「信頼してるよ(だから期待通りに動いてね)」 「信頼してるよ(だから裏切らないでね)」
これって、相手も重いし、期待通りにいかなかった時に自分も傷つくよね。
息子に対してもそう。コトコが息子に対して「信頼してる」と言えるのは、彼が何をするか分かっているからではなく。 「彼が何をしようと、私は絶対に彼を裏切らないし、私は私のままでいる」 そう思える、自分自身への信頼があるからだ。
「他者を信頼する」ことの正体は、実は「自分を信頼すること」なのかもしれないな。
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相手が期待外れの行動をとっても、私は大丈夫だと自分を信じること。
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どんな結果になっても、私は私を幸せにできると信じること。
そう考えると、「期待」という荷物を下ろして、ただ目の前の相手を「そのまんま」見るだけでいい。 それが、コトコにとっての新しい「信頼」の形なのかなと感じている。
もうかれこれ15年以上前だったと思うけど、GAP(ゲシュタルトアウェアネスプラクティス)のワークでこれがテーマになった時からずっと考えていたの
「信頼する」とは
自分を信頼していますか?
どんなときに信頼を感じますか?
これまでの経験の中で、信頼について何を知っているでしょうか?
「自分を信頼する」とはどういうことでしょうか?
自分を信頼するときに、
どのように、すでに信頼しているのでしょうか?
またどのように、信頼していないのでしょうか?
それは恐れや疑いと関係があるでしょうか?
「自分自身」をどのように信頼できるのでしょうか?
これは、「信頼 (trust)」「期待 (expect)」「願望 (Hope)」
について探求することも関わってきます。
私たちが「信頼」と言うとき、実は「期待」している場合が多々あるからです。
やっと明確な答えが出た感じかな。
2026年。 誰かに期待するのではなく、誰よりも「自分自身」を信頼してあげる一年にしませんか?
そんな、ちょっと哲学的な新年の始まりでした。 今年も「あるがまま」のコトコとサロンを、どうぞよろしくお願いいたします。




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